GNC勉強会   全記録作成者 工藤宝紀
日時:2000年7月31日
場所:バヤンゴルホテルにて
通訳者:Tsogtsaikhan(ツォゴー)
参加者:GNC  :宮木・矢野・工藤・ツォゴー
・・・・・・・海外農業研究会 : 西山・山村・岸本・中川・池田・藤原
。。。。。溝口・太田・室永/植木/セルゲレンさん/セルゲレンさん友人

宮木 では、そろそろはじめたいと思います。今日はまず最初にGNCがどういうことをやっているかということと、今回のツアーの意義はどういうものなのかということです。それをGNCのツアーに参加なさったということで、共通の認識をもって明日から活動できたらと思うのでそれを確認していきたいと思います。その流れで具体的な植林の今後の展望というものをツォゴーさんに話していただいて、それから植木さんが2週間前からきていてその間の彼女の研究成果についても簡単に話していただきたいなと思っています。その上でいろいろと質問とか今後ツアーを一緒に過ごすにあたって確認しておきたいなということを自由に話し合いたいなと思っています。

では最初にGNCについて手短に話をするために目次のようなものを作ってきました。それから確認なんですけど、ホームページにも載っているのですが、「僕らはこうしてモンゴルに行くことになった」と「2000年のGNC」と言うのを見たことない人がいれば配ります。ということでこの目次に従って簡単に話をしたいと思います。これ、あえて疑問形で書いてあるのはちょうど海外農業研究会の質問をメールで受け取って、その中に出ている質問に答える形になっています。まずなぜNGOなのかということですね。どうです?NGOってなじみがありますか?大学で話をしたりとか・・・。


西山 授業で、私たちのクラブというのはNGOに参加したりしています。

宮木 じゃあすごく馴染みがあるんだ。それならNGOについては一言で終わりにします。もともとの成り立ちから言うと、初めはゼミナールのような場所つまり勉強会ですね。みんな植林なんかとは関係ないところから始まって、そのメンバーで自分たちでからだ動かして何かやれないかということでNGOを作ったんですね。それが95年なんですけど、そのNGO作ったわけは何かというとやはりだんだん地球規模の問題が出てくると国単位では解決できないような問題も出てくる。そこがポイントですね。NGOって非政府組織ということで、政府でない、国でないという部分が利点であり、国じゃなきゃできないことっていっぱいあるし、国同士だとできないことというのもあるわけですね。でたとえばひとつ思い出してほしいのは、地雷除去の問題というのは、国同士では地雷除去というのは埒が明かないというか、具体的にはその当時アメリカが反対しているというのがあって進まないようなプロジェクトだったんですけど世界中でNGOがネットワークを組むことによって各政府を動かしてついに地雷除去ということにこぎつけた、というようなことがありますね。ですから国単位でできないようなことをNGOができるという可能性があると。その可能性の対象というのは要するに国境を越えた地球規模の諸問題を解決するのにすごくメリットがあるということですね。そのひとつとして、地球環境問題というのはその代表的なものなんだと思うんですけど、その切り口から僕らはNGOを作ろうという考えだったと。なぜNGOなのかというのはそういうことです。国単位でやっているとまずい方向にいってしまうなということを国を超えた組織でやるということですね。

それから2番目のなぜモンゴルなのかという質問ですがこれはとてもよく聞かれることで、どうしてモンゴルなの?ということですよね。確かに僕らも自分たちでなぜモンゴルなのかって自問自答したことが何回もあるんですけど、簡単に言うとやっぱり縁ですね。最初は本当に縁だったんです。「僕らはこうしてモンゴルに行くことになった」というのを僕が書いたのは、あまりにもその質問が多かったので書いてホームページに載せているんですね。というのはだから、今いったような地球環境の問題だとか、地球規模の諸問題全般について研究する研究会だったんですけど、その中で自分たちで何かひとつでも良いから役に立てないかという時に、とりあえず一番やり易いことから手をつけようということで、それほど専門知識がなくても専門家の助けを借りればできるものとして植林というのを思いついたんですね。その辺の部分は思いついたとしか言いようがない部分があるんですけど、タイミング的にそのとき大火災があったんですね。大火災があって木がいっぱい燃えてしまってモンゴルが困っているということが、ちょうどぴったりのタイミングだったんで、じゃあ木が燃えちゃって困っていてそれをちょっとお手伝いというか、助けに行こうかみたいな、そういう気持ちでじゃあモンゴル行ってみようって。その辺は本当に縁なんですけど、たまたま僕らの研究会の指導教授で、今は顧問をしてくれている方なんですけど、要するにモンゴルとは縁がある先生で、その時は車力村の村長さんを紹介というかそういう人がいるよって教えていただいて、直接手紙を出して、会いたいんですけどっていって。それで東京に出てくるときに待ち合わせして合ったんですね。すっごい魅力的な人なんだけど見た目成金っぽい人だったんで、もう少しひなびた感じをイメージしてたんで、同じロビーでうろうろしながらまさかこの人じゃないかなって思ったらその人だった・・・。

で、僕らは青森の車力村でモンゴルに行くんで一緒にこないかって言われて、とりあえず見てみようって感じで一緒に行ってみたんです。その事情、「僕らはこうしてモンゴルに行くことになった」の中に詳しく書いてありますけど、行ってみて地球環境のための植林、砂漠化防止のための植林というコンセプトで最初行ったんですけど、そのタイミングではどうやらモンゴルでは木を植えるなら飯をくれみたいな感じだったんですね。そこでであった人の話の感じでは。簡単にいうと旧ソ連の援助がなくなって自由化したあとにその流れで貧富の差ができて、食うのが結構大変になるって言う事情があって、自給体制というのが崩れるような状況になって、そこで食い物をどうするかっていうのがかなり切迫した問題としてあったと。そこでどうするかっていって、自分たちの自己満足で木を植えてもしょうがないんじゃないかという悩みがあった。そのときに車力村は寒冷地農業の専門家でもある成田村長とかがモンゴルで農業をやっていく、要するに自分たちの食える分だけ食えるようにするという政府からの要請を受けて車力村が協力するという、その姿にちょうど出会ったんですね。一緒にモンゴルに行ったときに。それでそこのところではじめてモンゴルで農業やる上で防風林というのがどうしても必要だって知ったんですね。つまり風が非常に強いので、ただ畑をやればいいのではなくて、防風林がないと風のために作物が育たないという事実を知ったと。食糧を自給するためには農地を作らなければならない、農地を作るためには防風林が必要だ。ただ今日の自然環境省でのインタビューでもわかっているように旧ソ連の援助がなくなってからどんどんそれが荒廃していくような状態になったと。で、そのタイミングでじゃあ食糧自給のための農地、そのための防風林造りをやると、その防風林をやるということがひいてはその砂漠化防止のための木という、保水力を増す、そういう風に繋がってくるだろうというような、これならある意味一挙両得だというような考え。その考えを持って日本に戻ってきてある程度具体的なプロジェクトにしてゆき、助成金をもらい、それで毎年モンゴルに来るようになったということですね。

これで一気に今までの歩みがどうであったのかということと、なぜ植林なのかということ、2,3,4をお話したんですけど、また後でさっき配ったものを見てもらえればその辺のことを追えるんじゃないかと思うんですけどね。もちろん今までの歩みというのは良くも悪くも素人が集まって始めたものなので、良くもっていうのは先入観がないので割にこうしなくちゃいけないというのがない。割に素直に専門家の意見とか現地の人の意見というのが受け入れられるというのがありますね。良くない部分というのはやっぱり素人なので専門的な知識がないわけですね。それを常に外から吸収してやっていかなくてはならないという部分がありますね。で、簡単に言うとこのやり方じゃだめだって途中で思って方向転換をしたというようなことは常にありました。

その部分でですね、この5番目の常に考えなくてはならないことは何かという話になるんですけれども、これはとりわけ大阪の海外農業研究会の皆さんの質問表の中にも結構あったことにつながると思うんですね。要するに結局常に考えなきゃならないことは何かというのは、初めから結論があってうまくやってきたわけじゃなくて、やっていく中でこれは違うなと思いつつ進んできたようなことなんで、まず人、金、環境、文化、自立って書いてある中での、まあ人の部分のエピソードで言うと、NGOというものがお金をどんどん払ってやるようなものじゃないので、基本的にボランティアの形をとることが多いんですね。まあアメリカなんかでもっと巨大なちゃんとお金的にもしっかりした所は一杯あるんですけど、僕らはそういうのはなかったんで、一緒にやっていく人集めというか、人員を確保するということが苦労の種ですね。ですからいい面でもあるんですけど、NGOの場合は大きくなりすぎないということで機動力が上がるということがあるんですけど、意思決定が早いとか、そういうことがあるんですけど。ただマンパワー少ないために作業が一人一人に集中してしまうということがあるんですね。
(セルゲレンさん会場に到着)
宮木 じゃあセルゲレンさん自己紹介を。

セルゲレン はじめまして、セルゲレンと申します。いつも宮木さんと矢野さんにお世話になっています。私はモンゴルではなくて内モンゴルという中国の北のほうの出身で、今東京大学の法学部地学研究科というところで大学院1年生です。植林には以前から関心があって、ずいぶん前からですね、去年の初めのころからいろいろ教えていただいて、今日は私の先生がこちらに泊まってまして。

宮木 本当に偶然ですよね。

セルゲレン そうですね。ぜひお話を伺いたくて。よろしくおねがいします。

宮木 じゃあ、続きなんですが、今ちょうど5番目のところの話をしているんですが、次にお金なのですが、もちろんお金は常にないです。お金がないというのは苦労の種なんですけど1つ、悩みというかここは皆さんも考えてほしいところなのですが、助成金をもらうということなんですね。助成金をもらうというのは今の日本では結果主義なんですね。要するにわかりやすい結果が見えているということが助成金をもらうためにはとても重要だったりするんですね。ところが、本当にたとえば現地のことを長期的に考えたときに、そう簡単には結果を出せないケースが多いと思うんですね。バーっていきなり言って何百万本も木を植えちゃえばいいかってそういうことはなくて、それが長期的にどういう結果になるかってそういうことを十分慎重に考えていかなくてはいけない筈ですし。それから現地の人たちとしっかり話し合って自分たちの勝手でやるんではなくてということ。その辺のことをたとえばそれをあまり良心的にゆっくりやろうとするとお金が出てこないという問題が今の日本にはあるんですね。その辺のことを折り合いをつけながらどうやっていくかということは常に僕らの悩みでありました。

それから、それと繋がるのですが環境という部分ですね。次の文化とも関わってきますが木を植えるということが、ただ木を植えれば常に環境に良いかというと必ずしもそうではなくてですね、これは実は僕ら専門家に話を聞くって言うんで1回、鳥取大学の乾燥地研究センターという所に話を聞きに行ったんですね。話を聞きに行って乾燥地に木を植えるというのはどうかということを科学的にしっかり聞こうといって。そうしたら、いわゆるマスコミにもてはやされているような木を何百万本も植えるというのは乾燥地研究所センターにいる教授陣1人だけで、後の人達はそれは実は環境を壊すという話で、つまりそこに派手に木を植えてしまうと生活用水を奪ってしまったりとか、かえってそこの土地を悪くしてしまう。2年間くらい成果をあげてマスコミが派手に盛り上がって、でもその後いなくなってからそこがだめになってしまうとか、そこに実際に生活している人達には苦しい状況だということを実際に聞いたんですね。だからそう言うようなやり方の植林はしちゃいけないなということをそこで勉強したわけです。ただ本数を稼いで闇雲に木を植えれば良いのではないということですね。それが環境。木を植えれば必ず環境に良いかというとそうではない。植え方を気をつけなくちゃいけない。それからその土壌に合うような、その土地に合わない木をいきなり持ってきて植えてもいけない。そういうようなことですね。

それからこの文化という問題ですが、これも遊牧と農業という問題です。これはすごく難しい問題で、まさにここにモンゴルの方がいらっしゃるんでそういう話し聞けると良いと思うんですけど、遊牧文化を農業によって壊してしまうんじゃないかという問題ですね。その問題点ですけどまず食糧自給をしなきゃいけないというのはとりあえず少なくともモンゴルの政府の方とか、モンゴルで出会った人達の、そのこと自体はみんなが願っていることなんですね。食糧危機から脱したいというようなこと。じゃあその食糧を自給できるようなレベルってどの位かというとこれは去年農牧省に行って聞いた限りでは広さ的に言うと草原の広さに比べては、本当に微々たる広さだということですね。具体的な数字はホームページで確認してほしいんですけど、旧ソ連時代はソ連の援助を受けてそこで農地が稼動していたと。その農地の周りにはソ連が植えた防風林があったと。それがソ連の援助がなくなってから荒廃してしまって、全体的には小さいけれどもその農地のさらに微々たる分しか、現在は稼動してないということですね。ですから、僕らがそこまでの規模にいくまではまだ遠い道のりですけど、つまりそこまでのレベル、面積的には小さいけど自給できるレベルまで農地を回復する、そのためのレベルまで農地を回復する、そのための防風林を造るところまで持っていけたら。で、最終的なところまで持っていくのではなくてある程度起動するまで持っていったらそこからは現地のモンゴル人の方々自身がどんどん進めていけばいいことなので、その段階で僕らはもう離れちゃっていいと思っています。要するにスターターになれればと思っています。その辺が自分たちの枠組みとして、闇雲に農業やるということではないという意味合いですね。自立って言うのはそう言う意味です。最終的にはモンゴルの人達自身がそれを考える。ですから今回交流会やるというのはどう言うことかというと、とりわけ若い世代で話し合って、そうすることがモンゴルのためにもなるんじゃないかなということを、こちらの意見としていって、若いメンバーは若いメンバーで考えがあると思うので、そこで意見を交換するということは将来に繋がるという風に考えているわけです。この辺のことをきちんとやろうとするとさっき言ったように助成金をもらいにくくなるということがあるんですけど、それは本末転倒というか、この辺のことはきちんとやろうという風に思っています。

それで、6番目のモンゴルの現状ということなんですけど、今言った話と繋がるんですけど、今日昼間行った自然環境省で散々でてきた話なんですけどね、農業のための防風林と、砂漠化防止のための造林という2本立てなわけですね。とりあえずツォゴーさんの畑の周りでと考えているのは、農業振興のための防風林の話です。先ほど車力村との関係で、それは前者のほうの話なんですけど、もちろん後者の砂漠化防止のための造林というのもすごく緊急なものであって、単にマンパワーとお金の問題でその両方に手が回らないということがあるんですね。ただその両方が大事なわけです。それで今日の昼間の話でわかっているように予算的には後者のほうにほとんどいってしまって、前者のほうにはほとんどいってないという話ですね。それで、セルゲレンさんがやっていることというのは砂漠化防止のための造林という後者のほうの活動なわけですね。

7番目の今回のツアーの位置付けということなのですが、今言った事情、GNCの立場というか姿勢というのはそういうものなんですけど、去年までチョイバルサンというところでこの作業をしていたわけですけど、ウランバートルから東に600キロメートルくらいなんですけど、そこは車力村のスタッフの話ではやはり農地としては、ウランバートルよりも良いらしいんですけど、如何せんそこで農作物を作っても需要する場所というのの中心地がウランバートルなので、作ってもそれを需要するところにもっていくまでに、輸送が困難なんですね。今輸送の事情が良くないものですから。今ウランバートルとチョイバルサンというところでスムーズにいかないというところがあるので、チョイバルサンでいくら今の現段階で農地を作って農作物ができてもそれが実際の役には立たないという問題点がひとつあります。それからもうひとつはモンゴル政府の姿勢としてまず、ウランバートルに力を入れたいということがありますね。ですから何かGNCとしてやっていく場合にモンゴル政府と協力してやっていくにはまずウランバートルから足がかりを作るということが現実的なわけです。要するに野菜とかそういうものが必要なのがウランバートルだという需要面の問題と、それから政府がどこに力を入れているのかという、そういう側面ですね。そのふたつの側面から、今年から思い切ってチョイバルサンに行かずしてウランバートルでスタートしようと。スタートなんでゼロからの出発なんですね。ですからある意味どういう風にスタートすればいいかというのはむしろその初参加してくださっている若い人達の意見を積極的に取り入れていきたいと思っているくらいですね。僕らにとっても新しい出発。今後の土台つくりというところなんで、ウランバートルでどう言う風にやっていけばいいのかということです。それを明日からゲルに2泊して、ツォゴーさんの農地を見ることで、それを今後どうしたらいいのか目で見て確認したいと思っているところです。今回のツアーの明日のゲルで現地を見るということに先立って、ツォゴーさんに農地とそれから今後その植林を、防風林をどういう風にやっていくかというような今後の展望をツォゴーさんに少し、具体的なことは明日現地に行って話を聞かせてもらえばいいと思うんですけど、今は予習的な感じで話を聞ければと思います。

ツォゴー みんな知っているというと思うんですけど、今年はポプラ100本、アカシヤ100本ずつ合計200本植えてありますけど、ポプラというのは生育が早い木でありますので、まず生育が早い木を植えて早く大きくしてから、それから防風林としては松を植えれば効果的なんですけど、松というのは冬になっての葉っぱが落ちないほどあいだなくたくさん枝がつく木であって、それは防風林に最適なんですけど、それはそのまま何もない畑に持っていって植えても、風が強いし冬も厳しいので、育ちが大変悪くなってしまいます。だから最初はポプラを大きくしてポプラを風防止にして、そのポプラの間に松を植えていきたいと考え、今年ポプラから始まったんですけど。ポプラはですね、10年間でもっと大きく高くなる木でありますので、松は今年日本から赤松、それからごよう松、4種類あるのですがそれを明日行って植えようと思っています。以前植えたのですが失敗したので明日みんなでやってみようかと思っています。松はそのまま植えて外に出してはいけないので、まず3年間は温室で育てて大きくしてから外に出そうという風に考えています。それから将来の話になりますが、本当に防風林は私の畑だけ植林してもあまり効果がないから、周りの会社の畑にも防風林を植えていきたいと思っています。最初からきれいにちゃんとやっていけば他の人が見て、やはり防風林がある農地は野菜が良くできると聞いてやってみたくなるんじゃないかと思っています。しっかり良く植えていければいいなと思っているんですけど。

明日もっといろんなお話をすると思っているのですが、畑に関してはそういう風に考えています。それからGNCの活動はこれだけとは限られなくて、もっとモンゴルのあちこちに広げられればいいと思っています。今回農牧大学の学生や、ジオエコロジーなど専門家の人達と合って、私は専門家ではないから、モンゴルにどのような木を植えてどういうように植林をしていけばいいのかというのは、専門家の話を聞いて活動を進めたほうがいい。そのために畑から木曜日に帰ってきてジオエコロジーの専門家と合うことになっています。そういうことなんですけど・・・。

宮木 ありがとうございました。じゃあ、ここでゲストのセルゲレンさんにちょっと活動というか、お話していただきたいと思います。セルゲレンさんはちょうど新しい団体を立ち上げたというところでもあります。

セルゲレン まず皆さんにひとつ申し上げたいことは、GNCのほうでも新しい事業というかこれに初めから参加できるというのは非常にやりがいのあることであり、これから新しい発見、あるいは問題点もたくさん出てくると思うんですけど、とにかくこの機会を大事にして長続きというか、引き続き協力してほしいというのが私の願いです。それがひとつですね。後はこれはお礼返しではないんですけど、もちろん宮木さんもおっしゃっていたようにこの植林というのは、皆さんが日本で思っていた植林と本当にやるときの植林というのはイメージ的に違ったりするんですね。そう言う意味でやりがいがあると思うんです。たとえば木を何本植えたかということでそれが実績の評価になるかというとそうでもない。後は砂漠化しているところ、そういうところでやれば良いかというとそうでもない、という結果が出ているんですね。それからそういう意味で新しい発見というか、優れた勉強になることは間違いないと思うんですね。

私事なんですけど、私は1998年から・・・私は94年の11月に日本に来ているんですけど、98年の後半からちょっと用ができてホルチ砂漠といって世界で今砂漠化というと中国は典型的なんですが、その中でも内モンゴルは深刻なんです。北京では黄色の雨が降ったということがあって、砂嵐で雨が降って黄色くなったということです。で政府として今内モンゴルを緑化するか北京を移動するかという二つの選択しかない、という風に言っているんです。そんなにひどいんです。そういうこともあるし、私自身が小さいころから砂漠の被害を受けている。そういうことからもちょっと余裕ができたので調査するという意味ではじめたんです。そういうことによって私が今に至る経緯というとやはり日本からたくさんに植林団体が行っているんですね。やはりひとつの植林団体にはそれぞれの性格があるんですよね。宮木さんにも性格があると思うし。それから鳥取大学の遠山先生だと科学者であると思うんです。ある意味。なのでこの砂の中で私は植物を植えて、あるいはここで植物を育てることを証明したい。それは断定できないけれども遠山先生の夢でもあったし遣り甲斐でもあったと思うんですよね。それがひとつ。遠山先生の下に副会長をやっていた菊地さんというかたがいるのですが、彼は岩手県のある町の町長なんですね。彼は先生と何年かやっていて自分で砂漠緑化協会というのを作って、それは菊地さんは竹下元首相とか、弟が議員であると、非常に人脈があって宮木さんがおっしゃっていたお金の面で非常に恵まれていた。郵政省からも何千万、本田技研からも5千万だしちゃうんです。あと弟が埼玉県の議員で事務所もかまえたりして、そういう関係もあって人的ネットワークに恵まれているんですね。遠山先生とまた違ったところで植林している。その植林は総合的計画というか、教育林といって、ある地域は30年間でこういう現状から救うんだといってそれで、道路も整備していれば、学校も整備しています。プラス植林の教育もしているのですね。それもひとつの性格なのです。けど私は共通している問題点もいろいろあると思うんですね。

たとえば皆さんのように本当にこういう感じで植林に来て勉強もできるということもあれば、実に植林のツアーに参加していっている人というのはすでに掘っている穴の中に木を植えて、写真とって来て終わっている人も多いのです。というのは旅行会社というのは、植林という今風の流行のことを看板に出して、利益が出ればよいというような植林で、後もうひとつはお金をバーンと出して何とか日本人が行ってちょろっとやって、これは援助をしましたという方も多いんですね。そうすると現地の人からすると日本人は金持ちであると。で金が使い切れないからこちらに来て、そういうこともしていれば、遊びもしている。そういう風に完全になってしまう。それも私から見れば無理のないこと。というのは植林をしている現地の人から見ると本当にいいホテルに泊まって、車で送り迎えをしてもらって、それで植林をしているという感じなので。現地の人からみるとそう言うことである。そう言う問題があるが、ではどうすれば同じ目標である砂の移動を止められるか、あるいは現地の人達に、私は日本に留学しているからわかるのですが、必ずしも金持ちとは言い難いのですね。結構家計も時間も都合していく人達が多いことを現地の人達にはわかってもらいたい。日本時が金が余っていて遊びにきているわけではなくて、確かに砂漠がひどいので、これを少しでも力を出してできれば何とかしたいと思っているということを現地の人達に伝えたかった。

そういうこともあって、私は今年の3回の調査を経て5月、正式には6月ですが、内モンゴル砂漠化防止の会という、できたばっかりなのですが・・・設立をしました。ホームページは今年の7月に公開されるので、皆さん見てください。
私は私の性格とはいえないかもしれないけれども、私が国とやりたいのは現地の人が主体であるということです。こちらで10日間やるとして、1人が100本植えるとします。それで千本、10人で1万本植えたとしても私たちの力には限りがあるわけです。たとえば次の日、10匹の家畜が入ればパーなのです。現地住民が主体であるし、やる気を出して植林の保護、あるいは植林をしようと思うような体制が必要だと思うのですね。それに私たちが協力できることというのはどういうものなのかを私は今考えています。それで私が国とやりたいのは現地の人達の啓蒙です。参加するにあたってこれが確かにひどいということを彼らにわかってもらいたいのですね。

これは少し話が飛びますが、どこかで何かやるというときには必ず調査が必要であるし、皆さんにしてもかなりしっかりした調査があると思います。宮木さんの植林に関する人的な必要性と自然的な必要性。たとえば人的な必要性というのはチョイバルサンでやっていたときに作ったコネというのは日本大使館まで持ってくるときにすごく時間がかかるし、現実的なその意味というのは現地の人から見るとそんなに大きくないということがあるかもしれないですね。それがたとえばウランバートルの周辺でやるということで、現実的な意味が非常に大きくなった。これがいわゆる人的な必要性ですね。もうひとつは自然的な必要ですね。じゃあやる気があってやろうとしても水なんかの水位とかの関係であって、本当に木がなかったところにバーっと木が出てくることによって自然循環がまた違ってくるわけですね。そういうことも十分考えてなさっているということが先ほどの話からわかったのですね。もうひとつ非常に大事ないわゆる現地の人達が何を考えているかということですね。モンゴル人は自然が怖いというのはいわゆるモンゴル人の自然観なのですね。たとえば今年の寒波のことを言うと、雪が振るということはモンゴル人の誰でもが知っていることなんです。けれどそれをたとえば草刈をして草を保存して雪が降ったときに家畜にやろうとは彼らは思わないのです。それはもちろんそういう人もいるのですが、私も含めてあまり思いません。それはその時にまた何とかなるというのは、単純な発想かも知れないけれど、ちょっと奥深い意味で言うと自然観なんですね。自然というものは怖いものであって変えることはできないのですね。特に人為的に変えることはできないのです。だからそのように任せてあと循環してもらうのが一番良いんじゃないかというのが、モンゴル人の自然観です。それはモンゴルの草原の保護には非常に役に立っているというのは、私は言い切れます。特に内モンゴルの砂漠化している現状を見ている私からすればですね。けれどそれはもうひとつ、砂漠化していること、それも自然のことだと思ってしまうんです。これも変える必要はないと。これは人為的に変えてはいけないと思うわけですね。ですから自然観を100%肯定してそのままやっていってしまうと、これは非常に危ない結末というか、結果になりかねない。だからいわゆるモンゴル人への自然観への疑問を投げかけるということですね。あともうひとつ私がやりたいのは、この自然観に関係する林、いわゆる林教育。というのはたとえばお金儲けのために木を植えても、それは経済的に良いかもしれないけどその結果どうなるか、それも考えてほしい。こちら側に林を植えて、こちら側に牧草地を植えるというか、そういうことをやることによって自然循環がさらに良くなりますよ、ということ。それは今まで自然に任せてきたモンゴル人にさらにお願いしたいのは無理があるということ。それについて皆さんは非常に大きな力を持っているのは間違いないのです。たとえば東京のいろいろな機関や、さっき宮木さんが言っていた鳥取大学の乾燥地研究所なんかですね。そういうことというのは非常に権威があるのです。それは日本だけでなく世界的にも皆さんは誇りに思えるような施設なのです。そういうところでしっかりしたものを現地の人達に伝えるというのは、非常に大きな役割があるんですね。だから主に住民主体で私たちは啓蒙的な行動をしていきたい、あとは教育林というか自然観についてちょっと疑問に思ってもらう。そういうことですね。あとは最後に、先ほどの松の木の苗とか日本からの苗とか、いろんなところからの苗という話があったんだけど、いろんな国の苗をモンゴルに、あるいは植林地に持ち込むのは非常に良いことだと思うんです。けど一番いいと思うのは、その設備が可能であれば植林地で苗木を作ることです。私たちにとって小さい種であれば、いくらでも植えることができるんです。けれど大きくなってそれが死んでしまうと、非常に小さいころから育てた苦労が一気にパーになってしまうし、苗だったら1万本の苗を植えたんだけど植え替えが可能な大きさになるまでに、60%であれば損害が少ないし、その後の確率が非常に高いです。それからそういうことも、現地でそういう苗木作りができればと思っています。これは非常にお金がかかりますが。

ツォゴー 
それを目指しているんですが。苗木をその場で作れるそういうシステムを作ろうと思っているんです。

セルゲレン
 それが一番良いですね。ツォゴーさんのことはお二人に良く聞いていますが、直接にはわかりません。ですが橋渡しというのは非常に大事なことです。ですから何をやりたいかということを皆さんよく議論して、時にはけんかをするということもその視野に入れてやらざるを得ない。というのは初めからそう言うような体制ができないと長続きしづらいという面があるんですね。植林は短期間で結果が出ません。長期的な視線でそれを考えるしかないものだと思うんですね。けど私はまだ植林を1回しかやったことがなくて、皆さんにえらそうなことを言うのは失礼かもしれませんが、それが私の考えです。

宮木 
どうもありがとうございました。これで一通り話が終ったので何か自由に質問とか意見があったらどんどん出してください。

池田 
植木さんに質問なんですが、現在林政学専攻だときいたのですが、林の政治ってちょっと良くわからないんですけど。社会学って考えていいんですか?

植木
 近いです。農学部にあるんで、農学生命科学研究科の中の、森林科学専攻の林政学研究室なので農学部なんですけどこの研究室はちょっと異色で、人文けいに近いような研究をするものが多くて、学生たちも社会学的な人もいれば法学的な人もいる。はっきり言って何でも良いんです。森林に関わることであれば。言語学的なことでも文化人類学的なことでもやっていいようなちょっと学祭的な研究室なんで、それぞれがいろいろなことをやっています。

池田
 社会的なシステムとか・・・。

植木
 はいやっています。私も森林政策について今やっているので、どちらかというと人文系かもしれない。

山村 
あの、共産主義でソ連がやっていた防風林があったじゃないですか、それが援助がなくなって衰退したじゃないですか、それでGNCが援助はじめたじゃないですか。で、ある程度防風林がうまくいってじゃあ僕たちぬけるよって言ったらそのあと防風林はどうなるんですか。

宮木 
ちょっと今の啓蒙とか言う話と繋がると思うんですけど、さっきセルゲレンさんが言った現地の人達が主体というのとまったく同じ考えで、ですからつまり僕らがやるからというのではなくて、防風林を作って農地を作ることが自分たちの食糧自給に繋がるんだということを現地の人が、本当の意味でその必要性をわかった上でやるということが重要だと思うんですよね。だから僕らがいなくなったらすぐにだめになってしまうようなことではそれは本物ではない。

矢野
 ですから私たちが手を引くときには経済的に生活力があがっていい状態であること。ソ連が撤退したときには混乱させて生活が苦しくなっていて、状況が違います。私たちが撤退するときには今よりも良い状態にモンゴルの人々がなっていなければと、思います。

山村
 今やろうとしている農業、自分の周りの植林しようとしている人達はわかっているのですかね?

宮木 ツォゴーさんはわかっています。

ツォゴー それをわかってもらうために畑をやっているんですけれども。最初はやって見せないと。

宮木
 口で言っているだけだとわかってもらえないから、最初はやって見せてしかも同時に、すごく長期的なことになっていくので長く続けるということが大事だと知ってもらうというのが重要ですね。

矢野
 撤退というのはあとは勝手にやってもらうというのではなくて、モンゴルの人達が自立してやっていこうという意欲がでてきてからのことです。ソ連はいろいろ事情があって撤退しちゃったけれど・・・。

宮木 
ハードだけ残してソフトがなかった。

矢野
 中途半端に撤退してしまった、だから現在のモンゴルでは防風林は後回しで、とりあえず食べるほうになってしまって。

ツォゴー 
最初からきれいにやっていくというのは、まず防風林としてただ植えるだけでなくてね、木と木の間隔は何センチ何ミリだとか、それは専門家の人達に聞いて植えたんですけど、その指導された通りにしたんですけど、それをやっていけば周りの人が見て、今は2メーターほどの高さしかないのですが、10年15年たてば効果が出てその時はモンゴル人はわかってくれるんじゃないかと期待します。

セルゲレン
 経済的な利益というのはいわゆる広告なんです。みんな同じような生活をしている、その時にある人がこう言うことをやることによって経済的に良くなる。その欲望というのは誰にでもあるんです、いわゆる金銭面であり、それは悪いということではないし、こういう欲というのがあるんですね。こうなったからこうやろうっていうのが次々に出てくる。初めから理屈を言ってもずっと昔から植林なんてしてこなかった民族にとっては、非常に難しいことなのです。

宮木
 ツォゴーさんのところで成功したら、ああ、あれをやると結構おいしいんだとなればみんながやりだす・・・。

ツォゴー
 去年初めて畑を作ってやり始めたんですけど、ハウスを作ったりしてるんですけど、周りが真似しはじめたんです。最初は誰かがやって見せないといけないから。ただやるのではなくて、きれいにしてやる。丁寧にやるのが一番大事です。それから自分のことだけ考えないで、周りの事も考えて、うちの畑が成功したらですが、もし来年松を植えてうまくいったら、やはりその次は周りに植えていこうと考えています。もしやりつづけていけば他のところからも見学にきたりすると思います。

矢野
 最初にやる人がちゃんとするということが肝心ですね。みんなのことも考えられる人がスタートするかどうかが大切なのだと思います。私たちのようにサポートをする側もそういう信頼できる人と組むことができるかどうかがとても重要で、一所懸命にきちんとやってくれる人かどうか、ちゃんといい影響を与えられる人かどうか、それを見抜くという責任が私たちにはあるでしょう。また、そうでない場合の混乱と悪影響、その怖さというのは常に持っています。

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