「未来の森林に続く道 GNC緑援隊モンゴル初遠征に寄せて 」(1996年 6月)
多分、皆さんの誰も、思い出と共に浮かぶ木がおありでしょう。今では高層ビル群の立ち並ぶ新宿の近くの町で生まれた私にもとても懐かしく思い出される木があります。無花果(いちじく)の木です。戦後間もない、悲しいくらいに青い空を背に立つその木は、幼かった私にとって、とても大きな木だった様に思われま す。しかし、実際どのくらいの大きさだったのか今では測ることができません。小学校へ入る前、我が家の建替えと共に庭の一番日当たりの良い場所にあったこの木は切られてしまったからです。ただ、今でも、くっきりと浮かぶのは、5歳年上の兄がこの木に登って、太陽をいっぱいに浴びて赤紫にふっくらと、甘く熟した大きな実をもいでくれている姿です。おいしかった!…
いつの頃からか庭に無花果の木のある家をほとんど見かけなくなりました。そして、今では無花果の実も高級フルーツとして、売られています。自然に生えた木、雨や太陽に助けられ自然になった実、自分の手でもいで食べる子供たち、その実を食べに来る小鳥たち、こんな風景への懐かしさからか、私は実のなる木が 大好きです。歳をとるにつれて、「実のなる木を育ててみたい」こんな想いがどんどん膨らんでいきました。
最近、地球の緑の危機が盛んに叫ばれています。このままいくと今世紀末までに現在残っている森林の50パーセントが消失すると計算されているそうです。こ のまま、森林を破壊し続けるならば、酸素も減少して21世紀には呼吸困難になる可能性も考えられるのです。こんな空しい記事を目にする機会がとても多く なったと思います。
「実のなる木が好き!」 「木を植えたい!」 こんなささやきが私の頭の中で響きは始めました。
「木を植えたい!」 「木を植えましょう!」
魯迅の言葉に
『希望はもともとあるものとも無いものともいえない
地上の道のようなものだ
地上にはもともと道は無い
歩く人が多くなれば、それが希望の道になる』
とあります。
今、私には 『ある道』 が浮かびます。私の思い出の中の無花果の木と、これからGNC緑援隊と共に植え続け、21世紀にはさわやかに風にそよぐであろう未来の木々とを結ぶ道、そして、その『希望の道』を世界中の多くの仲間が一緒に歩いているのです。『共存』の世界を描きながら・・・・
矢野明子
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