宮木いっぺい

共存というもの

私たちは、森林再生を活動の柱としている。そしてそれに、ある大きな願いを込めている。それを私たちは『共存』という言葉で表現している。

ジャズの話をしよう。私の大好きなマイルス・デイビスをはじめ、偉大なジャズミュージシャンは、強烈な個性の持ち主で、わがまま放題な者が多いと言う。しかし彼らが集まると信じられないような素晴らしい音楽が生まれる。その感じが私は好きである。
1人1人が自らが一番輝く瞬間を知り尽くし、プロとして最高の音楽を創ろうとしている。自らの芸に誇りを持っている。それだからこそ、他のミュージシャンの誇りを感じとり尊重することもできる。そして、ひとたび一緒に演奏すれば、お互い無理に合わそうとしているわけではないにもかかわらず、個々の力の和ではなく、いわば積とも言えるような素晴らしい結果が生じるのである。誇り高い職人の共同作業。これが私の、個と全体の関係についての理想のイメージ、そして『共存』のイメージである。

私は現在住んでいる鎌倉と稲村ガ崎の海をこよなく愛している。だから、地元を愛する気持ちを抜きにして世界平和を唱えても、私にはピンと来ないのである。郷里や国を誇りに思い愛する気持ちが本当であればこそ、他の国の人々の同様の気持ちがわかるのだと思う。
人間は1人1人が個性的な存在である。100%分かり合えることはありえない。だから人間が生きる上での基本は、お互い、10%の理解できる部分、良い部分を尊重し汲み取るよう努めること、そして助け合うことだと思う。そして、そのためには、1人1人が思慮深く、誇りを持ち、自立していることが必要であろう。

一昨年の夏、私は、森林再生活動の準備のために、はじめてモンゴルを訪れた。その時最も印象的だったのは、行く先々で出会うモンゴルの人々の笑顔の素晴らしさである。顔全体で笑う、その清々しく屈託のない飛びきりの笑顔、輝く瞳の魅力に、私はすっかりまいってしまった。
彼らには、人間は自然の一部であるという素直で謙虚な姿勢がある。美しさに素直に感動する情緒がある。そして、彼らは、自然と、その一部である人間や物を慈しんでいる。自然や人間や物との使い捨てではない丸く長い関係がたっぷり残っているのである。そして、このことと彼らの笑顔は深く結びついているように思う。
彼らの笑顔は、日本人が本来持っていながら最近はすっかり忘れてしまった、この人間の生き方についての大切な考え方を、思い出させてくれる。そして、これが未来を拓くために人間に残されたかけがえのない可能性なのではないだろうか。
子どもの頃、星を見て広大な宇宙に思いをはせたり、音楽を聴いて、どこかにとてつもなく美しい世界があるのではないかと心をときめかせたことは誰にでもあるだろう。モンゴルの草原に立ち、360度の地平線を眺め、夜、満天の星を見上げていると、その時の心持ちがいちどきに蘇ってくる。人間が本来持っている豊かな感受性と知恵の存在に気付かされる瞬間である。宇宙と直結している人間の無限の可能性を実感する瞬間でもある。

『木を植えた男』(フレデリック・パーク)というアニメをご存知だろうか。そこには私たちの願い、基本の姿勢があますところなく描かれている。ストーリーは、人々が醜い争いの末、立ち去っていった荒れ果てた土地に、ある男が1人黙々と種を蒔き続け、やがて森林が蘇り、人々の幸せが戻るというものである。人間のシンプルだが強い想いと行動が、世界を変える姿がそこにはある。木を植えるというシンプルな行動から、『共存』の考え方が世界に広がると私たちは信じている。

とりとめのない話になったが、『共存』という願いに寄せる私たちの想いが少しでも伝われば幸いである。

僕らはこうしてモンゴルへ行くことになった

昨年の夏、前年に引き続き植林をするためモンゴルに行って来た。相変らずモンゴルはチャーミングだった。何より皆の笑顔が素晴らしい。顔全体で笑う。その清々しく屈託のない飛びっきりの笑顔、輝く瞳の魅力に、僕はすっかりまいってしまった。彼らは、自然と、その一部である人間や物を慈しんでいる。自然や人間や物との使い捨てではない丸く長い関係がたっぷり残っているのである。そして、このことと彼らの笑顔は深く結びついているように思う。
僕らが忘れてしまったものがそこには確かにあるのだ。草原で馬を走らせているとどこまでも遠くへ行けるような気分になる。遠い昔、騎馬民族が周辺に攻め込み多くの民族を恐怖で震え上がらせていた理由がよくわかる。とにかく馬を走らせて地平線のその先に行ってみたかったのだと思う。そこに敵がいれば蹴散らす。ただそれだけのことだ。360度の地平線、満天の星、風。羊と乳製品ばかり食わされるのにはちょっと閉口するが、モンゴルは、はまる国だ。

さて、僕らははじめ、地球規模の諸問題に関する研究会で出会った。テーマは『共存への貢献』。毎週1回のゼミナールだと思ってもらえればいい。構成メンバーが、社会人、学生、主婦等様々で、毎回の議論はとても新鮮だった。そのうち机上の勉強だけでなく何か僕らですぐにでも出来ることはないかという話が盛り上がって来た。単純だった。ゴミ拾いと植林が思い浮かんだ。まずはじめた。稲村ガ崎の海岸でゴミ拾いをした。また当時、モンゴルで大火災があった。多くの森林が焼失しモンゴル国民が困っているという。それならば、植林に行こう。まずは見てこなければ。なけなしの金をはたいてメンバーのうち4人がモンゴルに飛んだ。するとそこでいろいろなことがわかってきたのである。

モンゴルでは、旧ソ連の崩壊と急激な自由化にともない、貧富の差が激しくなり、食糧事情がきわめて悪化しているということ、住民の本音としては木を植えるより飯を食わせて欲しいという状況だということ。様々な人々と話していてそれがわかった。出会いもあった。ウランバートルから東へ600キロほどいったところにあるチョイバルサンという街でのことだ。そこでは、食糧危機を救うため、青森県車力村が、農業試験場を支援して、稲作や野菜作りを成功させていた。彼らは毎年モンゴルの若者を村に受入れ農業研修をほどこし、また村の技術者を現地に派遣して農業技術の指導を行なっている。とてもいい感じの人的交流がなされていた。
さて、そこで僕らは重要な事実を知った。すなわち、モンゴル特有の強風から農作物を保護しなければさらなる農業振興は望めないということ、そのために是非とも防風林を作る必要があるということ、それが長期的には付近の砂漠化の防止にも役立つということ。これならば、環境のためにもなるし食糧事情の改善のためにもなる。自分たちのやるべきことがはじめてはっきりしたものとして目の前に現れたのである。僕らが植林部門、車力村が農業部門を担当する共同プロジェクトがこうしてスタートした。

NGO活動をやっていると、はじめには予想もしなかったような出会いがある。そしてはじめの見取り図とは全く違う方向へ進み出すこともある。そんなときその場その場での直感がとても大切だ。自然体でいる時の直感的な方向感覚の方が、いわゆる理性的判断より信じられるケースが多いというのは貴重な発見だった。現実に次々とぶつかると机上で積み上げた理論は吹っ飛んでしまう。吹っ飛んでチリヂリになった破片をまた拾い集めて積み上げる。行動しては考え、考えては行動する。その理論と実践の往復こそが真の学問なのだと実感させられることが多い。地球環境、人の生活に関わる活動だけに、常に試行錯誤を繰り返しながら活動を続けることが何よりも大切だ。

人間は1人1人が個性的な存在だ。100パーセント分かり合えることはありえない。だから人間が生きる上での基本は、お互い、10パーセントの理解出来る部分、良い部分を尊重しくみ取るよう努めること、そして助け合うことだと思う。NGOは何も仲良しグループである必要はない。プロジェクトが推進出来れば良しとしよう。ただし、具体的なプロジェクトを推進するためには、各自がある種プロフェッショナルとして機能することが必要だ。タイムテーブルと役割分担、責任の所在をはっきりさせることがその第一歩だ。そうすればあとは出来る範囲で協力しあっていける。同じ目的、そして何よりも強い思いを共有していれば困難は乗り越えてゆける。

僕らは植林プロジェクトと、シンポジウムプロジェクトを活動の2本柱としている。そこには現在、様々な立場のメンバーが名前を連ねている。お互いの違いを認め尊重し、協力出来るところは協力し、対立するところは対立しながら、自発性を基本に交流するNGOは小さな動きを大きな流れにつなげてしまう不思議なパワーを持っている。

1999年度 代表所感

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