宮木 一平

<寄り添う>

最近のニュースを見ていると、GNC Japanがスタートした1995年より今、世界は悪い状態になっているように感じる。世界中の国、人々が苛立っているようだ。何かがおかしくなっていると感じるのは僕だけではないだろう。
「NGOの目的は何か?」と問われたら、公式の答えとしては、「グローバルな諸問題を解決すること」となる。しかし、グローバルな諸問題を解決するとはどういうことか?
グローバルな諸問題といえば、貧困問題、地球環境問題、エネルギー・資源問題、人口問題、安全保障問題、人権問題・・・等が思い浮かぶ。実際、GNC Japanの定款の第3条(目的)には、「この法人は、広く一般市民を対象として、地球環境問題、安全保障問題、人口・食料問題、資源・エネルギー問題、麻薬やAIDSの問題など、人類の共存を阻害する地球規模の諸問題の解決に力をつくすことを目的とする。」と記している。(「共存」についてはサイト掲載の1997年度の代表所感もご覧ください。)
しかし、グローバルという言葉には危険な魔力がある。これに振り回されると、僕らは何か大切なものを見失うように思う。「グローバルな問題」というように便宜上一括りにされてしまうが、実際その中身は、一人一人一家族一家族の問題、苦しみや悲しみ、想いの集積である。僕らが向き合わなければいけないのは、「グローバルな問題」という一括りの抽象的な問題ではなく、1つ1つの血の通ったきわめて「個人的」な問題なのだ。
僕らの想像力は宇宙の彼方まで届く可能性を持っている反面、周囲何メートル内しか届かない側面があることもまた事実である。たとえば、自分、自分の恋人、自分の家族に関わることしか問題として実感できない側面は確かにある。しかしそれはけっして否定されることではない。大切なのは、それにきちんと向き合うことだ。
そのためには、どうすればいいか?答えはなかなか見つからないが、現場にそして人に「寄り添う」ことが何より大切だと思っている。現場から遠く離れていわゆる「客観的」判断を下し模範解答を示すのでもなく、現場に同化して独りよがりの想いで突っ走るのでもなく、優しい距離感を保って「寄り添う」こと・・・。
今、「グローバルな問題」は世界中で議論されている。その重要性を疑う者はない。しかし、「寄り添う」こと、個人的な苦しみや悲しみに想いを馳せる想像力が少し足りなくなっているのかもしれない。それが冒頭に記した、「おかしくなっている」何かなのでは?!
「グローバルな問題」というあたかも大きな1つの問題があるように勘違いしてしまうことは、「寄り添う」ことから一番遠い。本当の笑顔につながる具体的な解決策への一歩を踏み出すためにも、今ひとたびその点を深く受け止める必要がある。

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