宮木 一平

NHKで放送されている、「課外授業~ようこそ先輩~」という番組をご存知だろうか。各界の著名人が母校で授業を行い、後輩にメッセージを送る番組である。いつも観ているわけではないが、たまたまテレビをつけた時に放送されているとつい観てしまう。

もう放送されてから随分時がたってしまったが、その中の一回に、シンガーソングライターの長渕剛さんが登場したことがあった。今年の1月のことだったと記憶している。長渕さんは、母校、鹿児島県立鹿児島南高校情報処理科3年7組の教壇に立ち、3日間授業をした。テーマは「心の叫び」。「心の叫び」について、教室でだけでなく、海を眺めながら、あるいは、銭湯に一緒に入りながら語り合い、それをもとにクラス全員で書いた詩を再構成し長渕さんが曲を完成させ、最後は全員で合唱した。

その授業を通して、彼が後輩に伝えようとしていたメッセージに大変共感した。
・・・観念は屁理屈になりやすい。何より、「感じる」こと、そして、「叫ぶ」ことが大切だ。たとえば人の痛みを「感じる」ことができるか?それを「感じる」ことが出来なくなってしまったら、人間として駄目だ・・・。「叫ぶ」ことが出来なくなってしまったら、屁理屈しかこねられなくなってしまったら駄目だ・・・。
彼の言葉の中には、われわれの活動にもつながる、とても大切なメッセージがこめられているように思った。

NGOとして何らかの活動を行うとき、その活動の結果は、具体的にはいったいどこの誰に喜んでもらえるのか、そのイメージを少なくとも自分なりにしっかりと持つこと無しには、活動自体が空虚なものになりかねない。そして、イメージをしっかり持つためには、「感じる」ことが不可欠だ。まずは、「問題」を発見しなければならない、「問題」を感じなければならない。「本当はこうであって欲しいのに、現実には・・・」という現場の切実な気持ちを、どれだけ「感じる」ことが出来るか。そして「叫ぶ」ことが出来るか。活動がおかしな方向に進まないためにも、そのことを、常に自分たちに問い返さなければならないだろう。

このことは、NGOの活動に限らず、あらゆる活動に言えそうである。例えば、政治家が政治家であるためには、国民の気持ちを「感じる」ことの出来る資質を、たとえ他の能力が無くても、最後、絶対に持っていなければならないだろう。そして、感じた後に、「叫ぶ」という資質も。

もちろん、感じた後に、その理由・根拠をしっかりと分析し、具体的な行動、実践につなげてゆくというのが現実の流れだ。きちんと、根拠づけなければ、多くの人々の理性的判断に訴えることは出来ない。しかし、「感じる」(発見)→「叫ぶ」(実践)という、とても感覚的、直感的な一連の流れがそのベースに無いとき、分析結果は、偽善的な綺麗事、長渕さんの言う屁理屈になりかねない。

「感じる」こと、「叫ぶ」ことを、大切にしてゆきたい。これは、GNCのスタッフが共有している願いであり、また実践していることでもある。このことを忘れなければ、GNCはまだ「大丈夫」だと思えるのである。

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