宮木 一平

 

NGOは、人類の生存・共存を阻害するグローバルな諸問題を解決することを使命とする非営利・非政府の組織である。しかし当たり前だが、「問題」を解決するためには、まず「問題」をはっきりさせなければならない。「問題」とは、あるべき姿と現状にギャップがある状態のことを言う。となると「問題」をはっきりさせるには、あるべき姿が明確になっていることが前提となる。それでは、現在、世界のあるべき姿とは何だろうか。実はグローバルな問題の一番の難しさは、世界のあるべき姿が、多様な価値観を持っている国、民族、地域、宗教間で十分には共有されていない、あるいは共有が極めて難しいということなのである。
例えば、人権問題、安全保障問題などは、「あるべき姿」の共有が極めて難しく、「あるべき姿」の多数派工作をすることが国際会議の主要な目的ともなっている。つまり、問題解決のスタートラインにすらなかなか立てないというのが現実だ。現在、テロの問題、領土問題、資源・エネルギー問題、貧困問題など、スタートラインに立つ前段階で争っているグローバルな諸問題が山積し、世界は非寛容な空気に包まれている。
その中で、災害や戦災などによる被災者の支援、いわゆる緊急人道支援については、あらゆる国、民族、地域、宗教を越えて「あるべき姿」が共有されやすい。アポロ13号の宇宙飛行士救出劇は、世界が「あるべき姿」を共有した一例である。東日本大震災の際に世界中から支援の手が差し伸べられたのもそうだろう。「人の命を救う」ということの大切さは世界で共有されている。しかし、戦争やテロで多数の人間が殺されていることを考えれば、このような自明の「あるべき姿」さえ条件付きだということがわかる。
GNCという組織名は、「共存を目指したグローバルなネットワーク(人と人とのつながり)」という意味である。GNCでは世界のあるべき姿を、1)人と人との共存、2)自然と人との共存、3)過去・現在・未来の共存としている。ただ、20年前GNC設立当初の代表所感にも書いたように、僕らの共存のイメージは「皆が100%わかりあって仲良くなっていること」では決してなく、「ごくわずかでもわかりあえる部分を認め合って何とかうまくやってゆくこと」である。それこそが等身大の幸せにつながるのではないかと考えたのである。人間は100%悪で100%わかりあえないと考えるのも100%善で100%わかりあえると考えるのも、僕らの普通の幸せにはつながらない。自分も含めてどんな人間も99%はしょうもない煩悩、弱さに満ちた存在だということを現実として認めた上で、でも誰もが持っている1%の素晴らしさを信じ希望を見出すことが大切なのではないか。その方が相手に優しくなれるし、自分も楽だ。
とはいえ「共存」はまだ抽象的で、具体的な活動における到達目標にしにくいかもしれない。そこで僕は最近、自分にとって確かな手触りを持った「誰かの笑顔のために頑張り、誰かの笑顔を喜ぶことが出来るようになること」を目指すべきこととしている。それは、僕自身の活動の舞台である国際協力の現場、地域づくりの現場、企業のコンサルティングの現場、そして何より教育の現場でもっとも大切にしていることである。そして、みんながそのような気持ちになれた時、それを「共存」と言うのではないか。
ここで重要なのは、「誰かの笑顔のために頑張り、誰かの笑顔を喜ぶことが出来るようになること」は前提ではなく目標だということだ。無条件にこれを前提とした国際協力や地域づくりは現実離れしている。高熱で苦しむ子供を持つ母親が、どこかの途上国で貧困に苦しんでいる子供のことより、目の前の子供を心配するのは人間として当たり前のことで責められることではない。いつでもどんな時でも「誰かの笑顔のために頑張り、誰かの笑顔を喜ぶことが出来るようになること」は難しい。
実際、僕らが地域づくりの現場に入った時、「その地域の方々の笑顔のために頑張り、その笑顔を喜ぶ」ことが出来れば、地域づくりの活動は地域の方々の笑顔につながる可能性が高くなる。おいしいラーメン屋さんも同じだ。「お客さんの笑顔のために頑張ってラーメンを作り、お客さんの笑顔を喜ぶ」ラーメン屋さんは、きっと繁盛するだろう。それでは、どういった条件下で「誰かの笑顔のために頑張り、誰かの笑顔を喜ぶことが出来るようになること」は可能になるのだろうか。
最近、学生たちとこのことについてディスカッションを重ねた。その中で一つはっきりしたことは、「関係性」の大切さだ。あたかも自分自身のことのように誰かのことを考えられるような密な「関係性」、あたかも親しい友人や親戚とのような「関係性」を築いていれば、ごく自然にそのような姿勢をとることが出来るということだ。それではどのようにそのような密な「関係性」を築くことが出来るだろうか。
密な「関係性」を築く上で僕は、以下の3つのステップを重視している。1)「○○に寄り添って耳を傾ける」(関係性のスタート)、2)「○○の魅力を発見し、惚れ込む」(関係性の深化)、3)「○○に○○の魅力を伝え○○の魅力を活かすためのお手伝いをする」(笑顔につながるアクション)、の3ステップである。この○○には、活動の種類によって、途上国の方々、地域の方々、企業の方々、生徒・学生等が入る。このプロセスで自己と他者、利己心と利他心が限りなく近づいてゆく。つまり、「自分のことのように思える」という境地に少しは近づく。
ただ、上記の3ステップを「いつでも」踏むことが出来るわけではない。では、その時どうしたらいいのだろうか。大切なのは、「想像すること」と「ロジックにもとづいて思考すること」の2つである。リアルな「関係性」を築けない時、この2つこそがその隙間を埋めるのである。そして、それが無い時、人間はどこまでも残酷になり得るのである。
どこから見ても明らかな悪人が悪をなす、残酷なことをするというのならわかりやすい。しかし、歴史が証明していることは、ごく普通の生活をしている平均的な人々が何の意図も悪意も無くいつのまにか悪をなしてしまう、残酷な行為に手を染めてしまうということだ。戦争がいつまでも無くならないのはそういうことだ。人間は99%はしょうもない弱い存在だ。だからこそ、「想像すること」と「ロジックにもとづいて思考すること」が最後の砦となるのだ。
寄り添って耳を傾け「関係性」を築く、そして「想像すること」と「ロジックにもとづいて思考すること」を決してやめない、その先にかろうじて「共存」は見えてくるのではないか。人々の普通の等身大の幸せが見えてくるのではないか。そして最後は、人間の99%の弱さに絶望するのではなく1%の素晴らしさを信じて行動する勇気を持つ、そして持ち続けること。
僕は今はたしてそれが出来ているだろうか?そして皆さんは?世界はギリギリの危険な段階まで来ているように感じる。

2015年度 代表所感
2014年度 代表所感
2013年度 代表所感
2012年度 代表所感
2011年度 代表所感
2010年度 代表所感
2009年度 代表所感
2008年度 代表所感
2007年度 代表所感
2006年度 代表所感
2005年度 代表所感
2004年度 代表所感
2003年度 代表所感
2002年度 代表所感
2001年度 代表所感
2000年度 代表所感
1999年度 代表所感
1997年度 代表所感

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です